「学校に行く時傘を持って行ってね」
妻が声を掛ける
「いいよ、いらないから」
娘がめんどくさそうな声で答えている
「だって今日は雨が降るって天気予報で言ってたよ」と妻
何度かの『小競り合い』の後、無事に?子供達が登校
「朝っぱらから何を言ってんだ?」と私
「「いくら言っても傘を持って行こうとしないのよ・・」と妻
「は~・・・・・・」 「本人が要らないと言うんだからそのまま行かせたら良いだろう」
「だって・・雨が振ったら濡れるでしょう」妻は不満そうである
「一言声を掛けて、それでも良いと言ったら放っておけ!」
「濡れて帰ってきたら可愛そうでしょう」
「一度濡れて帰って来れば懲りるんだから、その方が本人の為なんだ」
幼稚園児に言ってるのではない
中学、高校になるまでこんなやり取りをしている
何故子供達を泳がしてやる事が出来ないのか?
それが不思議でならない
妻はそれが子供の為だと思って疑わないのだが
傍目に見ても子供達の鬱陶しがっているのが分かる
『失敗はさせてやった方が良いし、痛い思いもしたほうが良い。
家の中ではどんな失敗しても何度でもやり直しが効く、アドバイスも出来る』
私はそう思うのだが妻にはそれがわからない・・・・・何故なのか?
妻の通りにすると、自立性は育ちにくい
ちなみに学校までは10分もかからない
仮に制服のままプールに飛び込んでそのまま帰って来たとしても
風邪など引きそうにも無い距離なのである
さすがに干渉しすぎっ^-^;
これも怒鳴るではなく諭すって感じだと
伝わりやすいと思うのですが、、もう無理ですかね^-^;
怒鳴られるとどんなに正しいことを言われても、
自分が間違っていても、
ゼッタイ認めたくなくなります(笑
これが心を閉ざすってことかなぁと思いますが
そのへんも、理解不能ですか?
あとあと、「子育てハッピーアドバイス」って本があるのですが、
これを奥さんに読んでいただくのも良いかもです♪
過干渉の弊害ものってたと思うので、、。
紹介ページがありますので、URLにはっつけておきますね^-^
凄く読みやすいので説教にならずに、奥さんの心に響くとおもいます。(多分