有って当然な事に感謝するのは難しい事です
よく引き合いに出される「空気」などは無くなって初めて気が付くものですが
日常生活の中でも、あたり前になってしまうと
感謝できないだけでなく、「無いと腹が立つ」と言う事に
忘れ物についても同じ事と思っています 小学生の時の事
朝、娘が登校したと思ったら電話が・・
受けた妻は何事かを話すと子供部屋に向かった
部屋から出ると、そのまま外に出て間もなく帰ってきた
「何事か」と聞くと
「でかちゃんから電話で、忘れ物を届けにきて欲しいと言う事だったので届けた」との事
「今度からは自分で取りに来させなさい」
「でもそれだと始業時間に遅れてしまうから」
「遅れても本人の事なんだから自分でさせなさい」
「でも遅れるとでかちゃんが恥ずかしい思いをするから」
「一度恥ずかしい思いをしたほうがそれに懲りて忘れないようになるんだから
その方がでかの為なんだぞ」
こういうようなやり取りがあったのだが
結局は忘れる度に妻が届けていたようだ
ようだと言うのは
前記のようなやり取りをその都度するために
妻が私にわからないように電話を受け始めたからである
妻に余裕があるうちは良かったが
その内、自分の用事が有って直ぐに出なければならない時でも
「直ぐに持ってきて」と言う電話が入る
もう娘の使用人みたいなもんである
ある時、どうしても持って行けない時があったのだろう
「どうして持ってきてくれなかったの」
「自分で忘れ物をしないようにしたら良いでしょう」
そう言う言い争いをしている
結局は「今後忘れ物は自分で取りに来なさい」とでかに
「一々こちらから届けないように」と妻に言って収めた
しかし妻には良く分からなかったのか
その後も何度か届けていたようだ
それはちびの時にも繰り返された
届けられなかった時に感情的な言い争いになるのも同じで・・・
どうしてもやってやらなければならない時はあると思う
また、やってやりたいと言うのは親の愛情と言えるのであろうが
敢えて「やらない」と言う事も必要な選択肢であると思っています
余り過保護にすると
自分が忘れたのに「届けるのが遅い!!」などと言い出す事になります
当然の事には感謝できなくなる・・・見本のような物です
σ(・ω・*)も、昔は(っていつだよ?)取りに戻りました。まあ、親が忙しくて届けてくれる余裕がなかったのも事実ですが。。。
忘れてくる恥かしさ、も貴重な経験かも?
でも今は違うんですよね?
日中、校外に出ることを危険とみなし、取りには行かせません。
どうしてもの時には先生から≪お呼び≫が掛かります。
正直、1人くらい忘れても何とかなるみたいですけど。。。(゚ー゚*)